会長挨拶
2015年5月8日 最終更新日
2014年7月の第24回総会で宮池会長から会長職を引き継ぎました寺島です。よろしくお願いします。
日本国有鉄道に就職してから大半を線路保守の部署で勤務しました。大学の知識も役に立つことは少なく、職場も荒れていましたので、大学時代に大学紛争で議論したような議論が職場でも行われていました。そんな職場環境でも、線路の検査・保守点検はきちんと行われており、修繕順位まで把握されていました。この時に得た教訓として、保守点検は直す順番まで考えさせると正確に出てくることが分かった。ただ修繕にあたっての取り決めやら、予算上の問題から修繕は満足にできず、徐行をかけて列車を走らせるなどの対応をしていました。
1979年から出向でアメリカ運輸省・連邦鉄道局北東回廊改良計画課に勤務することになり、ワシントンDC近郊のアーリントンに2年間住んでいました。
アメリカに住んでびっくりしたのは、高速道路にも、都市内の道路にも穴は空いているし、鉄道も日本では線路が悪いといって騒いでいるのに、それよりもはるかに悪い線路で、大きく揺れながら列車が高速で走っていることでした。そして、橋梁関係の学会が、ウエストバージニア大学で行われ、国鉄構造物設計事務所のT主任技師が講演されるというので、運転手として随行した時に、「鉄道橋梁では欠損断面が何%になったら修繕するのか教えて欲しい。」と質問され、その答えは日本では持っていないことを、予防修繕の考え方とともに説明するのに苦労をしました。
保守を専門としてきたので、建設する側になった時には壊れないように造る、修繕がしやすいように考えるということが常でした。
東北新幹線の上野乗り入れ工事を担当した後、国鉄を退職して、1985年から本州四国連絡橋公団で瀬戸大橋の鉄道工事を担当することになりました。技術的には吊り橋の両端にある伸縮継目の工事が難しく、当時、JR四国の人達には「しっかり造ってあるので50年位はガードレールの管理と更換だけをすればよい。」といっていたが、もうすでに開業26年を過ぎている。鉄道運輸機構の設備部長が北備讃および南備讃瀬戸大橋工事を担当していたし、私より1歳若いのだから、JR四国ではお金も技術的にも苦しいから、よろしくとお願いしている。
リニア中央新幹線の工事開始が近づいてきているので、少し触れておきたい。
中央新幹線の担当は、1998年から2年間だけですが、当時、大深度地下利用に関する特別措置法が国会で審議されていたため、国土庁(現内閣府)や建設省(現国土交通省)や議員会館に入りびたりになっていました。その前にはアメリカで勤務をしているとき、宮崎実験線では無人のリニア実験車両が時速517キロを出したので、その手作りパネルを上下両院の議員会館に配ったりもしました。当時はリニアモーターカーと米国でのマグレブが同じものだと理解している通訳の人がいませんでした。
もう一つ担当していたのが、リニアの実験線に試乗していただくことでした。今なら苦労しないで集まると思いますが、当時はいつ実現するのかわからないこともあり、忙しいからという断りの他、実験中で危ないものには乗れないようなお断りもたまにはありました。おかげで私はリニアの走行車両に100回以上乗ることができました。
私の感想としては一番居眠りをするのによい乗り物ではないかと思います。揺れないし、加速度の変化もなく、駅で泊まる前後しか振動も感じないからです。
最後に、東海道新幹線は開業50年を過ぎ、その間保守に、気を使って運行しています。最近建設された新幹線(例えば九州や北陸)は保守に手がかからないように工夫がされています。いま世界中で鉄道をはじめとする交通インフラ整備に関心が集まっています。交通インフラを計画するときには建設費と想定される保守経費の合計を最低にするように考えて造らねばなりません。
寺島 優